【10月】蘇軾 「題西林壁」
(『看図読古詩(修訂版)』, 金盾出版社, 1994年より)
【大意】
よこざまから眺めれば連なる山々に、すぐそばから見れば独立してそびえる峰へと変わる。廬山の山々は、遠近も高低もどれ一つとして同じものはない。廬山が様々な姿を見せても、その本当の姿を知ることができないのは、それは外でもなく、私の身が廬山の山の中にあることによるのである。
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元豊七(1084)年、49歳の作。前半の2句は視点の移動による山容の変化。廬山に踏み入り、自分の目でとらえた描写で、実に動的な感があります。後半の二句で、山中に身を置いているからこそ廬山の本当の姿を知ることができないという時、その全体像を知るためには、主観という山の中から抜け出るべきであると主張しており、モノの見方捉え方の本質を説いている印象です。
中国にいる時、廬山を訪れたことがありますが、別荘の多いその風貌はまるで西洋の風景のようで、中国的な雰囲気は全くありませんでした。改めて蘇軾の時代の廬山、彼の目に映った廬山は果たしてどのようだったのか、大変興味深いところです。