毎月一首【八月】
【大意】
清々しい朝に古寺に入れば、昇ったばかりの太陽が高い林の梢を照らしている。曲がりくねった小道は奥深く静かなところに通じており、禅堂は生い茂った花や木に隠された深いところにあったのだ。朝日を受けた山の色は小鳥たちを更に嬉々として喜びさえずらせ、深い淵の色は人の心から雑念を払いのけ空寂の境地へと引き入れる。この世のすべてのものが発する音はみな静寂となり、ただ鐘と磬の音だけが聞こえるだけである。
(石川忠久編『漢詩鑑賞事典』講談社学術文庫,2009年より)
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常建は盛唐の詩人で長安の人と伝えられるが、詳細は不明。 開元十五(727)年の進士で盱眙(くい)(安徽省)の尉となったが、昇進が遅いのに不満を持ち、隠者の生活に憧れて名山を歩き回った。ある時山中で仙人のような女に会い、術を授かったと言われ、晩年は顎(がく)渚(しょ)(湖北省武漢市の西)に隠棲し、王昌齢らを招いて自由な生活を送ったと言われています。(前野直彬注解『唐詩選』(下)より) 以前、中国の作家巴金と井上靖の交流について文章を書いた時、『随想録』の中で巴金が旧友の中島健蔵のお墓参りに行った際のことについて、この詩を引用しつつその思いが書かれており、その墓参を大変印象深いものにしていたのをよく覚えています。芭蕉の立石寺の「静かさや岩にしみいる蝉の声」に通じる、静寂の中にあって却ってよく聞こえる鐘の音の響きを感じます。今年のお盆はコロナ禍と大雨でお墓参りも例年のようにできなかったかもしれませんが、手を合わせる心があればきっと、思いは祖先に通じるような気がします。